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「仙台藩“中興の英主” 伊達吉村公と 僧牷沓(ぜんたつ) ●場所:東北歴史博物館〔テーマ展示室〕 (宮城県多賀城市高崎1丁目22-1) ●期間 : 令和6年10月22日(火)~12月1日(日)まで ●入場料 常設展見学料分 460円 牲蕃行寧(ぜんたつぎょうねい)和尚とは 大満寺の御本寺 山の寺洞雲寺(仙台市泉区山の寺)の中興の祖であり、伊達家の命により洞雲寺を復興した傑僧です。 「牲蕃行寧和尚の書は、 奥州一殊に旧仙台領から会津方面にかけて、額面といはず、聯物といはず、 所在、至るところに多く見ることが出来る。 また関東結城方面にも見うけることがある。 和尚は仙台輪王寺の世代ではあるが、 俗に山の寺といふ仙台市外七北田の龍門山洞雲寺を中興したる人であるから、その書の落款には多くは「龍門牲替」と署されてあるやうである。 〔生 涯〕 諱を行寧(ぎょうねい)、号を牲沓(ぜんたつ) 別に老梅、 一癡 (痴)、希夷道人の号あり。 肥州佐賀の人。父姓を徳久、母は伊東。 寛文9年(1669) 3月28日生。 (寛文6年・1666の説有)幼少より文筆を好み読書においては人より抜きん出ていたという。佐賀藩鍋島家 菩提寺である慧日山高伝寺14世石鼎耕雲和尚について得度。次いで東皐心越、獨庵玄光、月舟宗胡、 卍山道白、徳翁良高等の諸老師に遍参し、遍歴の後、「帰りて高伝(21世大光) 寂照の会に首衆 (首座) たり」(輪王寺系譜) と記され、 「永平寺に瑞世」とあります。 その後高伝寺20世柏宗行寂の法を嗣ぎ (曹洞宗全書) 佐賀大福寺の2世となり、江戸麻布賢崇寺9世となりました。 〔仙台藩主吉村公とのご縁〕 仙台藩主吉村公との縁については諸説あり、 『東藩史稿』に、「獅山(吉村) 公ノ東山ニアルヤ、一日雅会ヲ八幡寺ニ開ク。 時ニ雲水僧アリ、来リ宿ス。 公其ノ能ヲ試ムルニ、文ヲ善クシ、又書ヲ能クス。 公甚ダ之ヲ嘉ミス。留宿数月ニシテ去ル。 即チ牲替ナリ。後チ公、佐賀候ニ請テ之を聘ス。」意訳 (諸説ありますが、『東藩史稿』には 吉村公は京都の東山の八幡寺にて雅会を開いた際、禅僧が来ていた。吉村公が試すと、文よく、書よく それを喜んだ。 その為宿泊が数月に及んだ。これがゼンタツであり、吉村公は佐賀公に許しを乞いその僧を招いた) また「龍門歴代傳記」に、輪王心寂(第18世真寂珠光か?)は、其 (ゼンタツ) の威風を恋し、大檀公 (吉村)に奏達し、吉村賢君の請に応じて輪王寺に住す。」 とあります。仙台輪王寺に入山されて、叢林の威風は日々盛んとなり、宗風も領内外に仰がれ、三度の戒法を開き、僧俗群れを成して渇仰し、数多くの戒師となるとの記述になっております。 〔洞雲寺住持として〕 10年余の住山の間には、 宮城郡七北田村の古刹洞雲寺の復興が特筆されます。曹洞宗以前の洞雲寺は遠く奈良時代の慶雲年間 (704~708) 開創と伝えられ、暦応3年(1340)加賀大乗寺3世明峯素哲が曹洞宗として再興、その後、 仙台藩祖政宗公が復興しましたが、後に頽廃に帰しました。 洞雲寺の住持となった牲替(ゼンタツ)は、享保14年(1729)藩主吉村公の援助を願い、堂宇を再建して中興1世となりました。 〔書の数々〕 牲替は特に書を善くしたことは有名で、 輪王寺山門に掲げる 「海東禅窟」の扁額をはじめとし、各地の神社仏閣に扁額や柱聯が保存され、 またその真筆も残っております。「仙台人物史」には「書法を独立禅師(黄檗宗・独立性易)に学び、草書篆刻隷珠に妙なり」とあります。 1、輪王寺住 享保9年から17年まで、59歳から67歳までの9年間となり、 2,洞雲寺住 寛延2年までの晩年の18年間を過ごし 示寂。 『輪王寺系譜』 によれば 「入室の弟子、覚門・魯州・兀庵・石橋・道潮・為珍等。 各〃 巨刹ニ住ス。」 とあり、 「寛延2年 (1749) 10月8日、 洞雲寺寝室ニ寂ス。 荼毘シテ霊骨ヲ本山に分ケ、 両所二塔ヲ起ツ。 寿84。」 と記されております。 (諸 傳) そこで和尚の生縁は九州であるといひ傳へられてはあるが、何としたことか浅草観音の奥山に於て砂文字かきをして行人たまたまから銭を乞ふて活計せるを偶々當時の仙台公の眼にとまり、これは凡物でないと見られて、請せられて輪王寺を董されたとの傳説がある。同寺では和尚に金箔をつけるがための俗情であるか、否かは素より予の知るところではないが、砂文字説を否定してゐるやうである。 予は若しそれが眞説であつて、 そのまゝ世に傳はつたとすれば、和尚のために更らに一段の光彩を添へるものではあらうと思ふ。 何にせよ、和尚の筆力の遒勁闊達(しゃっけいかったつ)にして龍蛇飛躍(りゅうだひやく)の勢あることは、 眞に推服(すいふく)に價(あたい)すべきものがある。」 吉村公については 下記にて参照ください。
by daimanzenji
| 2024-10-01 12:00
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